『経済学をまる裸にする』はあとがきだけで買った価値がありました。

経済学をまる裸にする」の訳者あとがきを読みました。*1

 経済学というのは面倒くさい学問と思われているんだよ、ということの有名な事例として、ハリー・トルーマンの「隻腕の経済学者がほしい」というお話があります。これと並んでしばしば見かけるものとして、トマス・カーライルが経済学を陰鬱な学問だと評したことがあげられます。*2*3

 わたしは、マルサス人口論の結論が暗鬱な未来を導くことから、カーライルが経済学を"the dismal science"と評したのだと思い込んでいました。ですがまったく違う文脈で使われたんだそうなんですよ。

 そして「陰気な科学」という一節は、実は奴隷制翼賛論(!!)として悪名高い「黒人問題に関する時論」(1849)なる文章中に登場する。経済学というのは、人々を放置しておけば需要と供給で自然に人々が(奴隷も)働くようになると言っているのがけしからん、というのがカーライルの主張だ。なぜそれがけしからんのか? 奴隷どもにやる気を出させ、働かせるには、そんな放置では、ダメだろう、もっとご主人方の創意工夫と仕事が必要ではないか(たとえば鞭でシバいたりとか鎖につないだりとか焼き印を押したりとか)。自由放任に任せればいいなどという経済学は、そういう創意工夫や生産的な活動を(繰り返すが鞭でシバいたりとか)を否定している。それが陰気だ、とカーライルは言っているのだ。具体的に引用すると

 そして社会科学――「楽しい科学」ではなく、哀れなものです―― この宇宙の秘密を「需要と供給」に見出し、人類統治者の仕事を減らしてしまい、人々の放任にまで貶めるとは、なんとまあ実に結構なことで。われわれの一部が耳にしたような、楽しい科学ではございませんと申しあげましょう。いいや、陰気で荒涼たる、まさぬ悲惨で陰鬱なものです。高みに立って言うなら「陰気な科学と申しましょうか。

  そういうあんたのほうがよっぽど陰気じゃわい、というかそういう文脈で陰気な科学といわれるなら、陰気上等、経済学えらい、と思ってしまうのだけれど。

 

『経済学をまる裸にする』pp405-406の訳者あとがきより

   以上のように奴隷制擁護の文章で使われたものらしいです。*4ウィキペディアの Occasional Discourse on the Negro Question - Wikipedia, the free encyclopedia にも、"It was in this essay that Carlyle first introduced the phrase "the dismal science" to characterize the field of economics."とありますね。

 

 ここまで書いて「黒人問題に関する時論」ウィキペディアの外部リンクの Thomas Carlyle (1849) "Occasional Discourse on the Negro Question" は本書の訳者山形浩生氏のホームページの英文記事ということに気がつきました。山形氏のサイトには日本語でこのことに関して紹介した記事もありました*5。最初から山形氏のサイトを見てれば、こんな文章書く必要なかったという結論が導き出せてしまいました。先ほどの文章の先には知ったかぶりのネタとしてどうぞと書いてあるので、まあいいのではないのでしょうか。*6

 

 日本語として成立していない文を修正しました。

 

 

 

*1:本文はまだ読んでません。

*2:こういう事例は経済学を厭うているひとではなくて、経済学者が入門書なんかでトルーマンはこう言っているけれど、それにはこういう理由があるんだよというために、用いてますね。

*3:本書の序文では、なんと両者とも使われているのですよ。

*4:マルサスに触れた部分もあるそうです。そちらのほうが人々に膾炙したのでしょうか?いまどき奴隷礼賛の文章に好んで触れる人などいないでしょうから。

*5:

トマス・カーライル (Thomas Carlyle)

*6:何が?